今回の記事は、古都奈良にある興福寺についての記事です。
歴史的建造物が数多く存在する奈良県の中でも沢山の人から支持を集める興福寺、今回はそんな興福寺を楽しむために役立つ情報を紹介していきます!
歴史
古都奈良県にある多くの歴史的建造物の中でも特に人気を誇る興福寺。
この項ではそんな興福寺の歴史を簡単に分かり易く紹介していきます!
創建~現在の場所に辿り着くまで

興福寺が創建された背景には、大化の改新を行ったとして有名な藤原鎌足の病が関係しており、その病が治るように建てられた山階寺(やましなでら)と呼ばれるお寺が興福寺の起源とされています。
その後、壬申の乱が起こった672年に山階寺は現在の奈良県にあったとされる藤原京に移ります。名前も山階寺から厩坂寺(うまやさかでら)に変わります。
そして現在の興福寺の場所に移動したのが、奈良時代です。
奈良時代になると、藤原京から平城京にお寺が移転されるようになります。その際に厩坂寺(うまやさかでら)も平城京の地に移動したのです。その頃から興福寺と呼ばれる立派なお寺が現在の場所に建設されたと言われています。
奈良時代

平城京に移転され現在の場所にできた興福寺は、奈良時代に更なる発展をすることとなります。
奈良時代は、藤原氏一族の勢力がとても強かったため、藤原氏の為に造られた興福寺は、藤原氏の勢力が強くなるにつれて興福寺自体の勢力も増していったのです。
その為、興福寺には次々へと新しい仏堂が建設されていき、更には朝廷による役所も設けられ、元々は藤原氏の私的なお寺であった興福寺は、公的なお寺へと変わっていったのです。
また、その後も奈良時代には五重塔なども建設され、奈良時代末期には奈良を代表する巨大寺院として興福寺が確立しました!
平安時代

奈良時代が終わり平安時代に入ると奈良にある多くの寺院は勢力を衰退させていきました。しかし藤原氏のお寺として建てられた興福寺は、平安時代に入っても勢力を衰退させることなくより繁栄していきます。
813年には興福寺の代表的な建造物でもある「南円堂」が創建され、更に「春日大社」との関係も強くなり多くの人から支持されるお寺へと勢力を拡大させていきました。
しかし、平安時代末期の1180年に奈良の町を襲う「南都焼討」の被害に遭ってしまいます。
「南都焼討」とは、平重衡(たいらのしげひら)が東大寺や興福寺などの奈良にある仏教寺院を焼討した事件のことです。
これにより、興福寺の仏堂や建築物は焼失してしまい、現在の興福寺で見ることができる物に、奈良時代に造られた物がなくなってしまいました。
鎌倉時代~江戸時代
戦災により被害を受けた興福寺。そんな興福寺は藤原氏を初めとする多くの人々により復興されてきましたが、何度も火災により被害を受け、私たちが現在見ることができる東金堂や五重塔は室町時代に再建された物です。
また、藤原氏の勢力も平安時代をピークに衰退していき、江戸時代中期の1717年に発生した大火災により、興福寺の主要な建物として知られていた南円堂・中金堂・西金堂・南大門が焼失してしまい、火災の被害から免れたのは東金堂や五重塔と言われています。
明治時代~現代まで

今まで説明してきたように、平安時代を境目に勢力を衰退させてきた興福寺ですが、明治時代の「廃仏毀釈」により、今までで一番の窮地に立たされてしまいます。
「廃仏毀釈」とは、仏教を排除し神様を立てる「神道」の国を造るための政策です。
その為、今まで春日大社よりも地位の高かった興福寺は、春日大社よりも下の立場になってしまったのです。
興福寺はどんどん勢力を衰退させていき、ほとんどの財産は没収され、興福寺と名乗ることすら許されない状況に追いやられてしまいます。
なんとか「廃仏毀釈」の政策は一時的に収まりましたが、戦前までは以前ほど勢力を回復させることはかなり困難な状況になってしまいました。

現在では、奈良の代表的な観光スポットでもある「奈良公園」の中の一施設ということで繁栄してきており、寄付を募るなど、以前の姿を取り戻そうと復興が続いています。
興福寺のみどころ
沢山の困難を乗り越え現在に至る興福寺。そんな興福寺を求め国内外から多くの観光客が奈良に足を運びます。
この項では人々を惹きつける興福寺の見所や魅力について紹介していきます。
沢山の文化財を見てみよう!

興福寺は幾度も天災や戦の被害を受けており再建を繰り返してきたため、創建当時の姿ではないですが仏像などのお寺の宝は当時の姿のまま保管されている物が数多くあります。
特に有名なのが、3つの顔に6本の腕が生えている三面六臂の阿修羅像で、国宝に指定されている文化財も数多く見ることができます!
古来の仏教に関する美術が好きな人には欠かせない観光スポットです!
圧巻の五重塔!

古都の町、奈良をイメージして東大寺の大仏と、この五重塔をイメージした人も多いのではないでしょうか?
この興福寺の五重塔は、初め730年に創建されましたが、幾度の焼失により現在私たちが見ている五重塔は1426年に再建された物です。
高さはなんと50.1mもあり、その壮大な姿は多くの人々を魅了します。
塔の中には「釈迦三尊像・阿弥陀三尊像・弥勒三尊像・薬師三尊像」が祀られており、特別拝観が許されている時だけ見ることができます。
興福寺の基本情報
興福寺
- 住所:〒630-8213 奈良市登大路町48
- TEL:0742-22-7755
- FAX:0742-23-1971
- 宗派:法相宗
- 拝観時間:9:00~17:00(入堂・入館は16:45まで)
- 詳しい情報:興福寺公式ホームページ